夢日記は『気が狂う』か

 
夢日記を続けると気が狂うと言われる。
かなり昔の話だが、夢で見たことを記録するようにしておけば、夢を自在に操れるだの、
記憶力が向上するだのと言って、テレビで推奨していたことがあったような気もするが。
 
実際に、夢というのはアイディアの宝庫であるといえるし、
夢を書き止めることによって、さまざまなインスピレーションを得ることは多々あるかもしれない。
実際に、過去の偉人の中には、そのようにして偉業を為した人もいたわけだから。
 
しかし一方で、確かに夢日記は気が狂うと言われている。
では、なぜ気が狂うのだろうか。夢を日記として書き留めることにどのような問題があるのか。
そもそも、現実と夢との境界はなんなのか。
人は夢と現実を、何を以ってその違いを判断しているのだろうか。
 
夢というのは、レム睡眠中に起こるPGOスパイク活動によって生じていると考えられる。
これは、覚醒時における視覚系の処理は、網膜からの信号が視神経を通り、
視床の外側膝状体を経由して後頭葉にある1次視覚野(BA17)に伝えられるのに対して、
レム睡眠中枢からの電気信号が視覚系の神経回路に飛び込み、眠っているのに、
覚醒時にものを見たときと同じような感覚が生じるということであり、
本質的には、両者には大した違いは無いともいえる。(夢について、詳しくは関連[1])
 
では、夢と現実の違いはなんなのか。
なぜ、夢は夢と認識することができ、また、現実は現実として認識できるのか。
 
それは、端的にいえば、連続性の問題である。
夢には、終わりがある。どんなにリアルな夢であったとしても、それには限りがある。
それに対して、現実は"続く"。どんなに非現実的なことであっても、拒絶したい事柄であっても、
それが現実である限りは、その人に終わりが来るまで、ただひたすらに続く。
この連続性こそが、夢と現実との境界であり、夢と現実とを区別する最大にして唯一の要素である。
つまりは、この"連続性"という観念がどのようにして生じるのかということである。
 
この、"連続性"を可能にしているのは、記憶である。
過去の出来事・経験を"記憶する"ことができるから、人は自分の体験を覚えているのである。
それによって、自分は過去・現在と同一の存在であるという意識を持つことができ、
いわゆるこころの連続性を可能とするのである。
例えば、エピソード記憶によって、自己を主観的な時空間の拡がりのなかに定位でき、
意味記憶があることによって、事物や事象などの一般的な知識、抽象的概念を覚えられるのである。
記憶があるからこそ、自己同一性を保つことができ、自己認識を可能とするのである。(詳しくは、関連[2])
 
夢と現実というのは、それぞれ別の世界であるといえる。"現実世界"と"夢世界"という。
これらの記憶が混ざることは無い。だからこそ、これらの世界が重なることは無い。
夢を見ているときには、記憶、自覚、論理性などの精神活動が弱まり、

直感的、情動的、連想的な精神活動が強まる傾向にある。
つまり、夢を見ているときの記憶というのは非常にあやふやなのである。
 
夢を、夢として認識するほどに。
どんなにリアルであっても、忘却するほどに。
 
また、現実を現実として認識するのに、その認識を補強するものとして、五感の入力がある。
夢には無く、現実にはあるその外部刺激は、現実を認識する補強入力としては非常に大きい。
 
しかし、それらはあくまで記憶という根本的ファクターがあって、
その上で、自己認識があってはじめて意味を為す。
補強はあくまで補強であり、補うものに過ぎず主とはならない。
 
ここで、話を戻そう。
 
夢を日記に書きとめ続けることによって、当然ながら夢の内容は反復される。
そうなれば、当然ながら夢に関する記憶は増強される。
そして、それは現実と変わらないまでに強固な記憶となって残る。
 
人は、記憶によって自己認識を可能とし、
過去・現在・未来という時間の中で自己を認知することを可能とする。
自己を主観的な時空間の拡がりのなかに定位することができる。
 
その記憶が混同されれば、区別されなくなれば、
当然ながら、それらの世界を区別するものは無くなり、各々の世界は重なり合う。
 
現実と夢の区別がつかなくなれば"狂う"だろう。
妄想ではない。幻想でもない。
その人にとっては、それが現実なのだから。
 
だから、夢日記をつけるときに大切なのは、それを夢として認識することだ。
 
現実は現実、夢は夢。
 
区別することが出来なくなるからこそ狂うのであれば、区別すればいい。
 
自己において、その境界を規定すればいい。
 
夢日記によって気が狂うのではなくて、
夢日記によって同一性を失うことによって狂うのだから、
じゃあ、失わないようにすればいいだけ。
 
夢を日記として書き留める行為そのものは、良いことだと思う。
記憶力の向上、独創性の獲得等と利点は多い。
ただ、自己同一性を失わないように留意する必要がある。
 
 
僕も以前、夢と現実の区別がつかないような"錯覚"に陥ったことがある。
別に、夢日記をつけていたわけでもなんでもなくて、
高校3年生くらいのときだったか、夏休みに1日15時間とか寝ていたら、
現実と夢との区別がつかなくなっていた。
 
まあ……、これはどちらかといえば、
寝すぎで意識レベルが低下していたのが原因のように思うが。
いわゆる、神経衰弱状態というか・・低覚醒状態に陥っていたという感じで。
寝すぎで寝すぎで、あと、周りがみんな受験勉強に勤しんでるのに、
自分だけ遊んでばかりでばかりで軽く欝が入って現実逃避してたというのもあるかもしれない。
 
まあ、理由はなんにせよ、現実と夢との境界が薄れてたんだ。
なんか、よく分からなくなるんだよね。で、そのままいっちゃうと、発狂と。
 
ただまあ、僕の場合は、なんだかんだ言って楽しく素のままで生きていたから、
そんなことにはなるはずも無く、今も元気に過ごしていますっと。
 
 
なんにせよ、アイデンティティは大切だということです。
 
夢日記を始める人は、くれぐれも狂うことの無いよう。気をつけて。
 
 
関連:
 
 
About these ads
カテゴリー: 未分類 パーマリンク

夢日記は『気が狂う』か」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: BONNIE PINKも書いていた夢日記 | ロックなひろぶの4行日記

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中