日録 – 09/17 –

 
今日はブログ更新休みの日。
台風が来るというから外出しなかったのに、近畿最接近は明日らしいじゃないか。。
こんなことなら今日出かければ良かったな。
しかしまあ、悔いてはしない。
「反省はするが後悔はしない」というポリシーがあるから。
閑話休題、中国語をちょっと勉強しようかな、と思う。
いろいろと言ってるけど、真面目に、本格的に。
中国のWebサイトってなにかと便利なんだよね。いろいろと。
まあどう便利かは……ご想像にお任せするが。
今はなき(いちおう学校にはまだ在籍しているようだが消息不明)中国人留学生の知人に聞いてたんだけど、
中国ではなかなかにBitTorrentが普及している。
日本でのWinny/Shareみたいな感じか。
まあ……BitTorrentがぜんぜん流行ってないのは日本くらいの気もするけど。
OperaにBitTorrent機能がついている。
これがけっこう便利なわけよ。
ふつうにURIクリックして、普通のファイルのようにダウンロードができる。
まあ……日本国内ではBitTorrentあまりないのでホント便利さが分からないが。
でだ、使おうとしたら使えない。
なんでって感じで憤りつつ、さらに蚊が周りを飛んでいてさらに激怒。
まあ繋がらない理由はすぐに分かって、ルータ挟んでたから。
というわけで、NAPT(正確には静的IPマスカレードか)の設定しなおして。
……でもなんかうまくいかない。イライラする。もういい。
BitTorrentを使うなら、クライアントにはBitCometをお薦めする。
といっても、普通ならOperaで十分機能するはずなんだけど。
Operaの場合、Webサイトとの相性か、一部では"なぜか"機能しない場合があるので。
海外では、ある一定以上のファイルのやり取りではBitTorrentが主流だし、
BitTorrentのクライアントソフトに、ぜひBitCometを利用すべし。
 
そういや、同窓会と云う物についてふと思ったのだが。
小集団での同窓会の意味ってあるのだろうか。
つまり、クラス単位、学年単位でってことだけど。
昔と違い、いまは情報インフラが非常に発達し、整っている。
だから、逢いたいやつがいればすぐにでも連絡を取り合えるし、逢うことができる。
逆に言えば、同窓会でしか会えないやつというのは、その程度のやつってことじゃないのか。
学校単位などの同窓会(正確には同窓会ではなく懇親会だが)の場合、他期生との交流がある。
しかし、コミュニケーションの手段が十分ある世代間での同窓会というのは意味あるのかなあ。
昔は、同窓会でもしなきゃ会えなかった。
今は、携帯がある。メッセがある。いつでも連絡を取れる。会える。
もちろん、同窓会が無意味とは言わない。
むしろ、味があることだから存在すべきだと思う。
でも、昔に比べたら、その意味は遥かに薄れているのではないかなあ。。
複数人に携帯のメールで参加・不参加について聞いて、誘ったりして、
その反応を見て……ふとそう感じた。
情報インフラの発展により、他者とのコミュニケーション手段が充実した。
それによって、いつでも、どこででも、連絡を取り合えるようになった。
しかしそれによって、
『個人が、個人の時間を持てない』
という現象が起こっているような気がする。
個人が個人の時間を持てないということは、個人が、常に他者の中にあるということだ。
 
人には生存本能がある。
以前言ったように、生存本能とは、『競争』に帰着する。
常に他者の中にあるということは、常に『自分以外』が存在するということ。
生存本能とは、人の根本的原理であり、最たる本能だ。
そして、それは『競争』を引き起こす。
他者が常に存在するということは、常に競争している状態にあることになる。
現代人は常に競争してるんだぜ?
そりゃー精神的に疲労すると思わないですか?
現代人、とくに精神的に未熟である青少年世代、精神的にもうばてばて。
若者の犯罪ってさ、精神的疲労の末のいわゆる逃避行動に起因すると思うよ。
と、同窓会の話からいろいろと考えてしまった今日一日。
メールで半日を費やしてしまって……さらに深く思うのでした。
 
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