あなたが『自慢』と感じたことは本当に『自慢』なのか – 09/29 –

 
学校内でバイトすることにした。時間を有効に使うため。
現状、0445時 – 2100時までを学業、および通学で消費されるので、とてもじゃないが学外でバイトなんてしている暇はない。
それでなくても、読もうと思っている書籍が山ほどあり、消化すべき情報が大量に蓄積されていってるのに。
 
というわけで、学内でのバイトをしようと思う次第で。
バイトする理由も、金を稼ぐためというよりは、時間の有効利用が第一義的理由なわけだが。
最近どうも合理主義的思考に陥り過ぎているような気がする。
すべての行動において、行為の妥当性、効率性、合理性、時間対効果を考えてしまう。
だから疲れるんだろうなあ……orz
高中祭……あまり気乗りしないけど、行くかもしれない。不確定だから先生に知らせるとかはしてないけど。
まあ、ボチボチでいっか。。
 
 
閑話休題、人には根源的に生存本能があり、生存本能は競争心に帰結する、とは何回も言ったことだ。
そして、それゆえに、人には根源的に競争心があると言うことも前に言った通り。
その競争心が故に人は自慢をしたがる。自分自身の他者に対する優位性を確立するために。
しかし、自慢はしょせん虚栄心にすぎない。
自慢は自ら自身を誇示する行為であるが、本当にすごいことなら自分から言わなくても自ずと周囲がそれを評価してくれるし、
逆に自分から自慢しなければ周囲がそれを評価しないならば、その程度のことにすぎないわけだから、見栄以外の何物でもない。
言っとくけど、自己主張は大切だよ。
自己主張と自慢は得てして捉え違いが発生しやすいが、ぜんぜん違う事物なわけで。
 
しかしまあ、『自慢』という概念は難しいところではある。
純粋にただ事実を述べただけであっても、相手によって、もう少し具体的に言うならば、
その事象を判断する者によっては、それを自慢ととることも考えられるわけだ。
 
しかし、本来『自慢』とは自らを誇ることを云い、
当人に自らを誇示する意思がないならばそれは自慢ではないはずだ。
当人にその事物を誇示する意思がない場合に自慢ととるのは、ただの『僻み』『被害妄想』に過ぎない。
 
もちろん、会話とはコミュニケーションの上に成り立つ事象であり、
コミュニケーションは、相手の価値観、もう少し一般的に解釈するならば、
他者の認識アルゴリズムと自身の認識アルゴリズムとの間で、言語ツールを介して情報を共有し、
それぞれのアルゴリズムにおける解析処理の結果が一致したときに始めて成り立つ事象である。
 
それゆえに、他者の認識アルゴリズムを解して、
ミスコミュニケーションが発生しないようにそれに沿った情報交換をするべきではあるので、
相手が自慢ととるべき発言は避けるべきではあるが、
しかしやはり、受け手としてはそういうことを意識して情報を処理して欲しいと思う。
 
まあ、端的に言うと、言い手も注意はすべきであるが、『受け手』も十分注意して欲しいってことです。
 
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