知性とはなにか、こころとはなにか – アリはフラクタル理論を思考できるか –

 
(07/08/20 追記)
こちらの記事のほうがまとまっているので、こちらをどうぞ。
 
 
 
(追記)
ここだと、タグ制限のせいで備考がうまくできないから、livedoorのほうに記事書く。
内容はまったく同じ。転載するだけ。
 
 
—— 
 
昆虫の行動というのは、哺乳類に比べると単純でパターン化
されている。ハチやアリなどの社会性昆虫は立派な巣を作り、
フェロモンを用いたコミュニケーションによって組織的に行動する。
これらは本能的な行動の積み上げによる*1が、とうぜん環境の
変化に対応するには、学習を必要とする。巣に戻ったり、危険に
対応するには、学習が必要となる。
 
最近の研究から、昆虫には高度な学習機能が備わって
いることが明らかになってきた。コオロギは、食べ物の
匂いを1回で覚える。4回の訓練で覚えた匂いは、一生涯
覚える。ミツバチやアリは巣の周囲の景色を覚えること
ができる。ゴキブリも、周囲の風景を記憶することができる。
 
彼らの小さな脳で、このように高度な学習ができるのは
驚異的である。こうした空間学習は、哺乳類では、海馬
が関わっているが*2、ゴキブリでは、キノコ体とよばれる
脳領域が関わっており、キノコ体は、社会性昆虫で高度
に発達していることが分かっている。
 
脳のニューロンの数は、哺乳類では10億~1,000億個に
もなるのにたいして、昆虫では10万~100万個程度しか
ない。にもかかわらず、虫は非常に多彩な行動を実現して
いる。それはなぜか。
 
小さな脳で多様な情報処理を実現するため、昆虫の脳では、
個々のニューロンが個々の機能をもち、それぞれが個別の
役割を果たすようになった。それに対して、哺乳類では、
多数のニューロンが強調して働き、ニューロンの集団としての
振る舞いによって1つの機能を実現させている。
つまり、昆虫の脳は、冗長性を省きシンプルな構造としたこと
で、小さいながらもさまざまな情報処理が可能になったといえる。*3
 
さて、昆虫の脳に関しての簡単な説明はこの程度にしよう。
 
アリの脳は、フラクタル理論を考えられるのか。
 
アリに高次脳機能は存在し得ないので不可能、といえばそれまでだが……。
 
"否定があって、はじめて肯定が生まれる"*4
に分かるように、ある事象に対して、疑問をもって、はじめてそれに
対しての真の認知が生まれる。これは、懐疑論に通じる考えか。
 
根本に"疑問"があって、はじめて対象を考えることになる。
(ヒトのような)知性とは、疑より発現されるものである。
 
アリは、自らの巣を作るときにその効率性を考えるのか。
アリは、自らの行動を疑問視することがあるのだろうか。
 
まあ、明らかにそれを考えることはナンセンスなわけで。
考えるまでもないことを議論するのって……不毛。。
 
アリはフラクタル理論を考えられるか?
そんなもの、自分の胸に問うてみろと。自明。 
 
 
個人的には、そんなつまらないことより、下等動物にも
"こころ"は存在するのかを考えるほうがよっぽど意義深い。
 
下等動物に『こころ』は存在するのだろうか。
未だにその答えは出ていないと思われるが、こころが存在しない
と考えるより、こころが存在すると考えたほうが納得できるケースが多々ある。
 
例えば、鳥が自分のヒナを外敵から守るために行う擬傷行動、ミツバチが
ミツのありかを記憶する心的地図(mental map)の形成能力などは、心的
過程が存在しなければ実現は難しい。
 
そもそも"こころ(mind)"とはなんなのか。
前例の場合、"精神活動(mental activity)"は確認できる。*5
 しかし、それは"こころ"の存在を肯定することになるのか。
 
"精神活動"があるから、"こころ"は存在する、という考えは早計では
ないか。"mental activity"とは現象論的事物であるが、"mind"とは
観念的なものであり、形象を示すことはできない。現象論的に同一
だとして、その発現が同一に起因すると言えるのか。*6
 
これは、チューリングテストにも言える。
 
"mind"は、ブラックボックスである。形象を示し、実証することは
かなわない。内観を客観的に計測する手段はなく、ヴントやジェ
ームズの意識心理学は衰退した。しかし、それは消去的唯物論
を支持するものではない。ワトソンやスキナーのように、客観的に
測定できないがゆえに"mind"は存在しないとすると、この問題は
判断停止に陥り、不可知論的な命題となってしまう。
 
そこで、現在にある解決策として、チューリングテストが挙げられる。
 
対象A(ヒト)、対象B(人工知能を搭載したマシン)があり、それらに
対してチューリングテストを行ったとする。チューリングテストにて、質
問の全集合に対して、対象Aと対象Bの答えが等価である場合、
この両者の違いを見分けられないことになる。つまりは、現象論的に、
一方に"mind"が存在するとき、他方に"mind"が存在するとみなすべき
である。
 
しかし、これはあくまで現象論的な議論に過ぎない。チューリングテスト
においては、人工知能研究者が対象Bの人工知能に対して、"mind"や
意識をインプリメントしたかどうかは問題ではなくなる。つまりは、真の
意味での"mind"の存在は確定されない。
 
これは、中国語の部屋*7という反論にも通じる。
 
しかしながら、それに対する反論として、以下を考えることができる。
 
すなわち、ヒトが知能を持っていることに疑いはない、しかし、その
知能を発現するブラックボックスを紐解けば、脳内における高度な
ニューラルネットワーク、化学物質、電気信号による複雑な情報
処理によって発現されており、それらのメカニズムは完全には
解明されていない。
 
ヒトは知性を持つ。それは疑いようのない事実である。
しかし、知性も"mind"と同じくブラックボックスである。
ならば、"mind"も知性と同じく、判断できるのではないか。
 
デカルト(Descartes, R. 1596-1659)は"mind"を、
「人間は思惟する精神をもつ, "我思う, ゆえに我在り"」
と定義した。
 
そして、チューリングテストでは、それが"mind"を持つと客観的に
判断できる場合に、それは"mind"を持つと見なせると定義できる。
どちらも現象論的な議論に過ぎず、ブラックボックスはいぜん
ブラックボックスであり、中になにがはいっているかは、不明である。
"こころ"の有無の判定と、"こころ"の合成とは、意味も意義もまった
くの別物であるが、現代におけるその判定は、チューリングテストより
ほかにない。
 
しかしながら、それこそが真の意味での"こころ"を示しているのかもしれない。
 
下等動物に"こころ"は存在するのか。
 
大事にしているペットに"こころ"がなかったとしたら、すこし寂しい。
大嫌いなゴキブリにも"こころ"があるとしたら、なにか釈然としない。
 
"こころ"というのは、そんなものなのかもしれない。
 
 

参考文献

[4] 記憶と脳 – 過去・現在・未来をつなぐ脳のメカニズム  久保田 競 編  サイエンス社(2002/09)
[5] 脳科学への招待 – 神経回路網の仕組みを解き明かす  松村 道一 著  サイエンス社(2002/09)
[6] ニューラルコンピュータ―脳と神経に学ぶ 合原 一幸 (著) 東京電機大学出版局 (1988/04)
[9] 心理学 – こころを科学する  笹野 完二 編  ナカニシヤ出版
[10] 中国語の部屋  Wikipedia
 
  

備考:

 

*1

ヒトのような知的生命体との大きな違いは、ここにある。
"社会"を構築し、組織的に活動していたとしても、
それは知性を示さない。知性の本質は、疑問にあるわけで。
だれの言葉だったか、『否定があって、肯定がある』
 

*2

空間定位という意味ではなく、大脳皮質は頭頂葉にて空間
定位が行われるが、それを短期記憶から長期記憶へと定着
させる働きに、海馬が関わっていると考えられる。
さらに言及すれば、海馬が関係するのは陳述記憶(宣言的
記憶)の場合であり、『自分はどこにいる』という記憶は、
エピソード記憶であるため、海馬が関係する。
 

*3

一ニューロン一機能説や、セルアセンブリ、スパースコー
ディング説などを知れば、どういうことか分かると思う。
詳しくは、参考文献[4], [5]を参照。 
 
*4
検証と反証の非対称性にもこの考えは通じるものがある
ように思う。
 
*5
精神活動(mental activity)を、知覚や認知活動、記憶、
学習、感情などの諸要素の集合体と定義するならば。
 
*6;
mindの日本語訳は"こころ"であるが、日本語における"こころ"の
定義は曖昧であるため、以下では"mind"と表記する。
 
*7
哲学者であるジョン・サールが考案した思考実験。
詳しくは、参考文献[10]
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