偽善者……ご都合主義……”こころ”ってなんだろう……

 
 今日は大変だった。ホントに……すごく大変だった。。以前、坂東
眞砂子氏に関しての記事を書いたが、しょせん自分も人のことは
言えないのかも知れない。。けっきょくは、自分のやっていることは
すべてはただの偽善行為なのではないか。
 
 今日、本当に突然なのだが、うちの猫が死にかけていた。昨日から
体調は悪かった。だから、昨日は必死で看病した。しかし、一向に
良くならないばかりか、悪化の一途をたどるので、病院に連れていか
なければ、死ぬのではないかと思った。
 
 しかしそこで、僕は躊躇した。病院に連れて行けば、おそらく最低
でも数万円、下手をすれば数十万円はするかもしれない。お金に
ゆとりはない。しかし、連れて行かなければ……おそらくは死ぬだろう。
どうすれば良いのか。病院に連れて行くのか……見殺しにするのか。
 
 最終的に、病院に連れて行った。すでに危篤状態であるため、今晩
が峠になるかもしれないと言われた……。
 
 坂東氏のときには、あれだけ生命倫理を説いておきながら、自分は
命と金を天秤にかけてしまった。もちろん、お金にゆとりがないため、
非常に切実な問題ではある。しかし、やはりそれを天秤にかけてしま
ったということは事実。……"偽善"という言葉が、脳裏をかすめた。
 
 自分は、しょせんは偽善者なのかもしれない。今回、病院に連れて
行ったのだって、本当に猫のためなのか。自分のために、自分が死
んで欲しくないと思ったから、連れていったんじゃないのか。猫の立場
なんて関係なく、けっきょく自分本位な、一人よがりな行動に過ぎない
んじゃないのか。偽善的な、ご都合主義。自分の行動が、そんな感じ
に思えてしまった。
 
 人の行動なんて、けっきょくは自分本位な独善的なものに過ぎないのかなあ。。
 
 
 – ねこには"こころ"はないのではないか
 
 学術的な話をするわけではない。理論的な話をするわけでもない。 今日、うちの
ねこが死にかけた。ほかのねこ3匹がそれに対してとっていた行動を見ていて、
思ったこと。
 
 うちのねこは、そのねこに対して、見向きもしないで、餌を要求していた。喧嘩こそ
ふっかけなかったものの、無関心で、どことなく冷たい感じがした。僕が病院から
帰ったら、ねこ達はにゃあにゃあごろごろ言いながら、じゃれていた。
 
 こころがあるなら、心配するんじゃないだろうか。そもそも、こころとはそのような
気持ちの源を指すんじゃないのか。ならば、そのような気持ちが芽生えない限りは、
こころなんてないんじゃないのか。こころがあるなんて言えないんじゃないのか。
もちろん、精神活動は見受けられる。(精神活動: 関連[2]を参照)
 
 しかし、前にも述べた(関連[1], [2]参)ように、精神活動がすなわち"こころ"の
存在を確定することにはならない。(ただし、ある程度の肯定にはなり得るか)
"こころない人"という言葉にあるように、"こころ"とは、非常に観念的な事象であり、
それを捉えることはかなわない。しかし、あるいは第三者における観測によって
のみ判断されうる事象かもしれない。(関連[2]参)
 もしそうであるなら、それは量子物理学的事物と同じで、そもそも対象を完全に
捉えることができ、一意に定められるという、古典的な考え方がそもそも通用せず、
任意の観測者に拠る観測によってのみ定まる事象であるのかもしれない。
 
 いまは、こころとはなんなのかという議論はおいておこう。
 
 僕は、ねこ達のしぐさを見ていてこう思った。
 
 こころがあるなら、悲しむなりなんなりするだろう。悲しみもないなにもないのなら、
やっぱりねこには……こころはないんだろうな。。
 
 そう考えるのは、少し寂しい感じがするけど・・・・・・。
 
 
関連:
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偽善者……ご都合主義……”こころ”ってなんだろう…… への1件のフィードバック

  1. yan より:

    私は中国人です 
    今日本語を勉強してるので長すぎる文章は分かりづらいです。
     

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