ソウルの学校にみるいじめ対策

 
 今日、ぼんやりとテレビを見ていたら、衛星第一で"いじめとの闘い・韓国"
という番組をやっていた。なかなかに興味深い内容だったので、少し思惟に
耽りたいと思う。
 
 最近、日本においてはいじめ問題が大きな社会問題として取り上げられて
いる。そもそも、人という動物、またその社会構成から考えれば、いじめという
のはほどんど原理的に生じうるものであり、根絶は非常に難しい問題である
が、しかしながら、この問題が問題となる最も大きな理由は、いじめが発生
するということより、なによりもそのいじめに対する周りの対応、学校側の対
応にあるだろう。また、その対応こそがいじめを発生させうる、あるいはエス
カレートさせる要因となるわけだが。
 いじめが発生すれば、大概の学校ではそれを隠蔽しようとする。そもそも、
学校レベルまで話を持っていかず、担任がそれを無かったことにすることも
しばしばある。実際に、僕が小学生のときではあるが、それに近いことがあ
ったし、僕の学校での話は、しょせん小学生の知れた問題程度だったが、
他区にある小学校では、それよりもひどい、実に陰惨な事件があったにも
関わらず、教師は問題が大きくなることを恐れ隠蔽し、加害者側は開きな
おり、けっきょく被害者側は引っ越すことになってしまった。
 人に競争意識がある以上は、また社会がそうである以上は、自己と他を
どうしても比較してしまうだろう。それが、ひいては"いじめ"に繋がるだろう。
これは、原理的な問題であり、解決することはそもそも人のその精神的問
題を解決しなければいけないということになるので、非常に難しい問題だ。
それよりも、上述したように、実に不条理な問題があり、なによりもまずは
それを解決しなければいけないだろう。その問題というのが、つまりは周り
の対応であり、その現場であるところの責任を負う学校の対応だろう。そし
て、その解決策としての方法論として、お隣韓国の取り組みは、1つの参考
になるかもしれない。
 韓国でも、1990年代から学校におけるいじめがおおきな社会問題となり、
ある少女の事件からその保護者が市役所の掲示板にそのことを書きこんだ
ことにより、国全体の大きな関心事となり、そして、ついにそれは国までも動
かし、教育人的資源部によって"学校暴力予防及び対策法"が制定された。
この法律の第18条には、学校内の暴力においてそれの報告を義務化する
節が書かれているらしい。だれもが見て見ぬふりをするのではなく、それを
報告させる。これは、非常に重要なことだろう。
 しかし、実際にはNHKの取材に対しての学生達の返答はあまり芳しいもの
ではなかった。それはそうだろう。例え義務化されようとも、そもそも報告する
ことに対して抵抗があるから、報告をするという行為が問題を招くからこそ
報告しない、いや、できないのだから。それをなんとかしなければ、けっきょく
のところはなにも変わらない。そこで、ソウルのある学校(番組を最初から
最後までちゃんと見たわけではないので、名前は分からない)では、非常に
画期的な、あるいは、個人的には少し抵抗のある方法によって、いじめ問題
に対して非常に効果的に対策を講じている。
 その方法というのは、いじめの報告による加点方式である。日頃、遅刻や
あるいは校則に反した行為によって減点された点数を取り返すという意味
で、生徒は自主的に、進んで報告をするようになるだろう。もちろん、この際
に匿名性は十分考慮されなければならないし、実際そうしているようだ。こ
れは、2つの意味で効果的だと思う。
 まず第一に、いじめという問題を解決するうえで、いじめを無くしていくうえ
で、最も重要かつまず最初に始められることは、間接的な当事者を無くして
いき、かつそれら間接的な当事者を、いじめに対して反対する立場に持って
いくことである。いじめというのは、当事者(加害者と被害者)だけの問題では
ないし、それらだけによって起こるものでもない。例えば、いじめをするやつ
がいたが、周りがそれに対して否定的であったので、最終的にはそのいじめ
っ子は学校を辞めてしまった。いじめをすることによりある個人を貶めていた
はずが、周りがそれに否定的であったため、その行為によって逆に自分を
貶める結果に繋がり、居場所がなくなって辞めてしまったわけだ。いじめと
いうのは、周りがそれを許容するからこそ起こり得るのであり、生じるので
ある。自分は関係ないという態度が、間接的当事者として、それが起こる
要因となっているのである。だからこそ、報告制度というのは重要であると
言えるし、それはまた、意識改革などの副次的要素も生じさせることになる。
したがって、いじめの報告を促すこの方法は、非常に有効であり有意味で
あると言える。
 第二に、いじめの報告というのは、本来だれも進んでやりたいと思うこと
ではない。"触らぬ神に祟りなし"であり、いじめの報告をしたところで、自分
にとってなにか益になるでもない、むしろ、自分自身が当事者となってしまう
ことによって、とばっちりをくらうかもしれない。加害者に復習されたり、いじ
めの対象が自分になってしまうかもしれない。メリットも無く、むしろデメリット
ばかりであるともいえることを、自ら進んでやろうとはだれも思わないだろう。
だからこそ、メリットを設けてやる。いじめの報告をすることによって、自分
自身の益となるようにすれば、その行為は第一義的に自分自身のメリット
になるし、それがひいてはいじめ問題の解消に繋がり、有意味な結果を生む
ことに繋がる。だれもが嫌がる行為に対して、意味を持たすことによって、
みんなが進んで実行するようにする。そして、そうするなかで、本来的には
個々人にいじめ問題に対しての意識を生み、いじめということを考えて、そ
れに対して真剣に取り組むようになるということも考えられる。・・・本質を理
解し、自身のメリットだけで動くのではなく、その先にある意味を考えられる
ならば、だが。
 さて、ここまでは良い点に関して述べたが、上述したように、個人的には
この方法に対して少し憂慮をせざるを得ない。それは、これは果たして本
質的な問題解決には至れないのではないか、ということにある。いじめとは、
そもそも想像力の欠如に起因する。相手を思いやる気持ちがかけている
からこそいじめというのは起こるのであり、相手を思いやるというのは、想像
力をもって、自分がなにをされたら嫌なのか、自分はなにをされるのが嬉しい
のか、それをふまえたうえで、自分がある行為をしたときに、相手に対して
どのような影響を及ぼすのか、相手はどのように感じるのだろうか、という
ことを考え、想像することにある。端的にいえば、"想像力"があってこそ
いじめ問題は解決する。もう少し厳密にいえば、いじめが現象論的ないじめ
として起こることはない。 しかし、上述した方法というのは、あくまで自分
本位に過ぎない。これは、結果的にはいじめを無くすことに繋がるかも
しれないし、効果的かも知れない。しかし、そもそもの根本的な問題の
解決にはなっていないし、そこにまで至ることはそうはないのではないか
と思う。
 ソンフォン中学校では、匿名アンケートによるいじめの把握、それに
ともなういじめの防止や対策。特別授業によっていじめ問題を考えさせ、
いじめに対しての意識改革を行ったりしている。
 
 いじめ問題というのは、非常に難しい問題だ。いじめは、日本だけでは
なく、欧米など世界の様々な国において社会問題となっている。今回は、
お隣の韓国における実例を踏まえていじめ問題を考えた。韓国における
いじめ対策は、日本のそれに比べて、法整備の充実や、なにより国など
のそれに向ける熱意が高いなど、進んでいるようにも思う。韓国の実際の
対策を挙げて、それの有意味性、あるいはそれが内包する危うさや問題
点を考えた。そのうえで、それらを議論したうえで、これらを参考に、日本
におけるいじめ問題に対してどう対策するか、どうあるべきかを考えてい
かなければならないと思う。
 
 
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