どうしても解せない-スタートレックを見て思った、時空間に関する話

 
 昨日、スタートレックを見ていて思ったんだけど、あのストーリーは
おかしいと思う。時間と空間の話はまったくの専門外だから、理論的
な説明とか、論拠とかはないけども、感覚的にそれは違うんじゃない
かという気がしてならない。
 
 まず、どんな話かを簡単に説明すると、DS9の第120話「Children of
Time」ってやつで、エネルギーバリアに包まれた惑星を調査する過程
で、自分達の子孫と出会う。現在から、2日後にU.S.Sディファイアントは
事故ってしまい、量子流動が生じて200年前にタイプスリップしてしまう
とか。まあ、この時点でタイムパラドックスがあるのだが(事の起点は
どこ?っていう)、それはおいといて。ここで、クルーは問題に直面する。
事故が起こることは知った。だから、それを避けることはできる。しかし、
避けてしまえばタイムワープが起こることはない。子孫は存在しなかった
ことになる。この8000人の命を犠牲にして良いのか?ということだ。でも、
ちょっと待って欲しい。それって、感覚的におかしいと思わない?今ある
現実が、存在している事象が、さじ一つで完全に消え去るのだろうか?
そんな不可解なことがあるだろうか。それよりも、以下のように考えた
ほうが、スマートなんじゃないかと。
 
 つまり、タイムワープを免れた時点で、それは別世界ということ。1つ
の世界、1つの時間軸で無理やり話を捉えようとするからおかしい。
事故が無ければ、そのことは当然存在しない。ならば、その世界に
おいては、その事象は初めから"なかった"ということだ。事故が起こる
であろう時間座標のその瞬間に、事故が"あった場合"と"無かった場合"
の2つの世界に分岐する。子孫がいた世界は、"あった場合"の世界、
事故を免れた瞬間に"無かった場合"の世界になる。だから、当然ながら
その世界においては、彼らの存在は"無かった"ことになる。無くなるのでは
なく、初めから"無かった"んだ。もちろん、彼らの存在は"あった場合"の
世界でちゃんと存在する。そう考えるなら、彼らの存在を守るため云々という
議論はまったくおかしいと言わざるを得ない。
 
 あるいは、どうしても1つの時間軸で考えるというのなら、そこには2つの
可能性しかないと思う。1つは、タイプワープは存在し得ないということ。
時間跳躍は起こり得ないとするなら、タイムパラドックスが起こることは
あり得ないのだから、なんの問題も生じない。2つ目の考え方としては、
それは運命論的な議論にならざるを得ないと思う。つまり、すべてのこと
は予定調和に定められていて、それを変更することはできないということだ。
そう考えれば、1つの時間軸の中で、その時空間においてパラドックスが
生じることはない。すべてが、レールの上を走るのだから。けっきょくの
ところ、1つの時間軸で考える以上は、可能性が1つに収束せざるを得ない。
 
 以上のような理由から、どのような考え方をしても、並行世界という考え方
でも、運命論的な考え方であっても、あのようなストーリーが生じることはない
と思うわけですよ。だいたいさ、もしあのような事象が生じると仮定する
なら、子孫が存在する(≡A)という事象がもともとあったが、事故の後に
おいては、その事象Aが"存在しなかった"ということになるのだから(ここで
重要なのは、存在が無くなったのではなく、そもそも存在しなかったという
ことになるということ)、当然ながら、彼らの記憶にも留まることはあり得ない。
その世界において、その"事象そのもの"がそもそも"無かった"のだから。
 
 というわけで、昨日は録画したスタートレックを見ていて、これは違うだろー
と一人思っていたわけです。もちろん、もし上記のような考え方をすれば、
あのような感動的なストーリーにはならないから(並行世界観: そかそか、
まあ別の世界の話だしーー、じゃ私たちは失礼 END ; 単一世界的な
考え(運命論の場合): 避けられない運命 END ; 単一世界的な考え(時間
的跳躍はない): そもそも、このストーリーが成り立たない)、ああいう風には
ならざるを得ないんだろうけど、しかしそれにしても、スタートレックでは
時空間に関する話が多数出てくるが、並行世界観を以って話が構築されて
いるにも関わらず、1時間軸的な考え方でストーリーが構成されている
のは何故なのだろうか。そこがよく分からない。なにか意味があって使い分けて
いるのだろうか?それとも、量子論とか時空論(ってあるのかな?)的には
そういう考え方が正しいのか?よく分かりませんっ><
 
 とにもかくにも、個人的には時空間に関する話は並行世界観で以って
考えているので、こういう話が出てくると、「なんでかなーー」といつも思う
わけなのでした。だから、こういう考え方でこのエピソードを見ると、あまり
感動もないんだけどね。だって、『どうせ彼らは"この世界"においてはその
事象が"無かった"ことにはなるが、"彼らそのもの"の存在が消えるわけじゃ
無いじゃん。彼らが存在するという世界においては彼らの存在は確かにある
じゃん。』って感じで見てたからね。。
 
 
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