量刑相場なんて糞くらえ

 
久しぶりに新聞を読んで,果てしなく論点がずれているように感じた.
 
先日,神隠し事件の容疑者に無期懲役の判決が出た.
曰わく,判例に基づいて,量刑相場として無期懲役が妥当であるということだ.
この件に関して,新聞では『裁判員制度導入に伴い,
裁判員は量刑相場について理解を深めなければいけない』
という節の話が書かれていた.
 
しかし,これは大きな誤りだろう.
 
そもそもとして,裁判員制度が導入されることになったのは,
第一義的に法曹関係者らの判決があまりにも社会的常識
ひいては一般常識と乖離しているという問題にある.
それは,極論を言えばそもそも量刑相場が常識に相容れないということもある.
 
日本は法治国家なのだから,当然量刑相場の原則は守られなければならないことではある.
しかし,裁判員の目的は,第一義的に裁判所に社会的常識や,
あるいはもっと言えば,一般的常識を持ち込むことにある.
裁判員はただ社会的常識に従い,己の道義に基づいて行動すれば良い.
 
犯罪者への厳罰化などが風潮のこの時代に,
裁判官は被害者感情に流されず,
極めて客観的に,法的に妥当な判決をしたんだろう.
 
それでも,そもそもそれ自体が社会的常識と乖離しているのが問題なのだから,
それを,裁判員においても量刑相場やら法的妥当性やらを求めるのは筋違いというものだ.
 
僕は星島被告は死刑になるべきだと思うし,世論もまた死刑を圧倒的に支持している.
社会的常識に従えば,本件は死刑となるべきものだろう.
それに対して,法的妥当性の観点から言えば,無期懲役が妥当なのだろう.
ここで,法的妥当性を絶対と考えるべきか,
あるいは,それは一般人とは相容れないものであるから,
社会的常識との乖離を無くし,それを是正すべきであると考えるか.
 
結局のところ,量刑相場云々だから裁判員にもそういう能力を云々・・ではなくて,
裁判員制度そのものの必要性,存在意義を議論する必要があるということだろう.
 
ぶっちゃけて言えば,量刑相場など法的原則は法曹が考えれば良い.

裁判員はただ己の信じることを述べればいい.
 
裁判員の第一義的性質を考えれば,量刑相場?そんなの糞くらえだ.
 
カテゴリー: 未分類 パーマリンク